
ストレス増加の社会的背景
現代の産業社会では、ストレスが「個人の問題」ではなく「構造的な社会問題」として注目されるようになってきています。特に20世紀後半以降の経済構造・労働環境の変化が、ストレス要因を急激に増加させたと考えらえます。
具体的には、産業・経済のグローバル化やIT技術の進展により、企業間競争は激しさを増し、その中で各企業は経営効率を高めるために従来の年功制や終身雇用制を廃止して成果主義を導入しはじめました。
また昨今では、働き方改革の推進や新型コロナの影響から、テレワークの導入も急速に進むなど、急激な労働環境の変化により個々の労働者のストレスは増す一方です。
その様な社会的背景から、ストレス増加の要因を下記の通りあげてみました。
● 労働の柔軟化と不安定化
かつての日本型雇用(終身雇用・年功序列)は安定性が高く、将来設計もしやすい仕組みでした。しかし、グローバル経済の進展とともに成果主義や非正規雇用の拡大が進行していきます。これにより、労働者は「いつ職を失うか分からない」という慢性的な雇用不安に晒されるようになっっていきました。
● ICT化とワークライフの境界の曖昧化
テクノロジーの進歩により、テレワークの進展で時間・場所を問わず働ける環境が整備された一方で、パソコンをネットワークに常時接続する状態が発生し、業務と私生活の境界が曖昧になってきています。これにより「休んでいても仕事が気になる」「常に成果を出さなければならない」というプレッシャーが強まり、心理的プレゼンティズムが深刻化しています。
● 中高年層への構造的プレッシャー
高度経済成長期に若手だった中高年世代は、今や組織の中心を担う一方で、リストラ、介護・教育費の負担、健康問題といった複合的なストレスに直面しています。加えて、管理職としての職場内での孤立、ミスに対する責任の重圧も従来より大きくなってきました。
職業性ストレスモデル
ストレスを科学的に理解するためには、いくつかの理論モデルが存在するのですが、なかでも以下の2つのモデルが職業性ストレスの理解にあたっては有用です。
● ジョブ・デマンド–コントロールモデル(Karasek, 1979)
このモデルは、職業性ストレスの強さを2軸で捉えています。
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仕事の要求度(Demand):業務量、納期、集中力の要求
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裁量・自由度(Control):自己決定権、仕事の進め方の自由さ
上記から、仕事の要求度(量的負担)が高く、仕事のコントロール(裁量性)が低いと高ストレス状態になり、健康障害が増えることになります。
このモデルから発展したのが、「仕事の要求度ーコントロールーサポートモデル」で、このモデルの考え方は、高ストレス状態の労働者であっても、職場の支援があれば、ストレスが緩和され健康障害が減り、逆に職場の支援が少なければ健康障害が増えることを実証しました。
● 努力–報酬不均衡モデル(Siegrist, 1996)
このモデルは、労働者の努力に見合う報酬が得られていないときにストレスが高まるとする考え方です。
報酬には、金銭だけでなく、承認、キャリア成長の機会なども含まれることが特徴です。
つまり「頑張っても評価されない」「昇進の見込みがない」といった状況は、燃え尽き症候群(バーンアウト)や抑うつ状態に直結すると考えられます。
この考え方以前には、米国立労働安全衛生研究所で、職業に伴う様々なストレスと、ストレスによって引き起こされるストレス反応と病気への進展を横軸として、ストレス反応に影響を与える個人的要因、仕事以外のプライベートな要因、社会的支援などのストレスを緩和する要因を考慮した「NIOSH職業性ストレスモデル」が示されました。
このストレスモデルは、職場のストレス非常に強い場合や、職場以外のストレスを含めいくつかのストレスが重なったとき、あるいはそのストレスが長期にわたって持続して、個人のストレス耐性の限度を超えたときに、何らかの健康障害を引き起こすと考えるものです。
そして、ストレス反応の強さは、個々の労働者の年齢、性別、性格や行動パターン、自己評価などの個人的要因を強く受けます。と同時に、上司や同僚、家族といった周囲からの支援がストレス反応や健康障害の発生を防ぐ緩衝材となります。
産業社会における現在の問題点と対策
● 問題点1:メンタルヘルス対策の属人化
企業の中には、メンタルヘルスを「個人の自己管理能力の問題」と捉えているところも多く、いまだに組織的な対応が遅れているケースも見受けられます。また、「休職者が出る=本人の脆弱性」とされがちで、予防的な介入が不足しています。
● 問題点2:職場の人間関係・ハラスメントの温床化
多くの企業が年功制を廃止し成果主義賃金・人事考課制度を取り入れてますが、当該制度は社内の競争原理を加速させ、必然的に個々の労働者の負荷の増大をもたらします。そして、上下関係の硬直化、コミュニケーション不全、業務過多へつながり、パワハラや孤立のリスクが高まっています。精神的に脆弱になった社員が、適切な相談先を持たないケースも多く、メンヘル疾患につながっています。
● 問題点3:中高年社員の支援不足
中高年のうつ病や燃え尽き症候群の増加にもかかわらず、若年層中心のキャリア支援や福利厚生が優先され、中高年層の再設計支援が手薄であることもあげられます。
対策の方向性
産業社会におけるストレス問題に対応するためには、まず組織全体で包括的なストレスマネジメント体制を整備することが不可欠です。その第一歩として、ストレスチェック制度の実施に加えて、結果に基づく個別面談や職場環境の改善までを一体として捉える必要があり、単なる形式的なチェックで終わるのではなく、早期発見・早期対応の体制を構築することが求めらます。
加えて、職場のメンタルヘルス支援を有効に機能させるには、上司や管理職の役割が極めて重要になります。日々部下と接する立場にある管理職が、部下の心理的な変化やSOSの兆候に気づき、適切に対応できるようにするためには、パワハラ防止教育と並行して、メンタルヘルスに関する実践的な教育プログラムの導入が望ましいのですが、経営資源の乏しい中小企業では外部のEAP機関との連携が有効です。
また、特に昨今、課題として顕著なのが中高年層の支援です。近年では、心身の疲労やモチベーションの喪失からうつ病に陥る中高年が増加していますが、その一方で、企業内のキャリア支援制度や福利厚生は若年層を中心に設計されていることが多いです。したがって、中高年社員に対しては、ファイナンシャルプランナーやキャリアコンサルタントなどの専門職と連携し、ライフプランやキャリアの再設計を支援する取り組みを導入することも重要であると考えます。
総合的な考察
昨今の産業社会におけるストレスは、単なる精神的な疲労ではなく、社会構造・職場文化・個人のキャリア形成が交差する複雑な現象であることが特徴です。
そのため、ストレス対策は「一元的なメンタル対策」ではなく、労働環境・制度設計・キャリア支援・家計支援といった複数の視点から多面的に取り組む必要があるのですが、そこまで行きとどかせることが出来るのは一部の大企業にとどまるのが現状だと思います。
そこで、すぐに取り組める事として、上記の述べたストレスモデルからいえるのが、仕事に対する「達成感と裁量権」を重要ポイントととして捉えることです。
自分のやりたい仕事であれば、多少忙しくてもそれほど負担には感じないですし、自分のペースで進めている仕事であれば、さほどストレスも感じません。逆に、やりがいを感じない仕事や上司にスケジュールを管理されている仕事などは、小さな仕事でも大きなストレスを感じます。
つまり、このことから言えるのは、単に仕事量を減らしたり、簡単な仕事を与えるよりも、仕事の達成感やコントロール度を上げることのほうが、よっぽどメンタル面によい影響を与えるという事です。
職場環境を良好に保ち、労働者が心身ともに健康な状態で仕事に臨むには、この「達成感と裁量権」を感じながら仕事を行えるかがカギとなると考えられます。